12.2. 線形結合解析

12.2.1. 系の速度論の検討のための XANES スペクトルと LCF の利用

この節では水に溶けた塩化金 (Au3+) から金属金への還元反応の速度論について検討した実験の線形結合フィッティングによる解析について説明します.実験の詳細とデータは,

  • Maggy F. Lengke, Bruce Ravel, Michael E. Fleet, Gregory Wanger, Robert A. Gordon, and Gordon Southam. Mechanisms of Gold Bioaccumulation by Filamentous Cyanobacteria from Gold(III)−Chloride Complex. Environmental Science & Technology, 40(20):6304–6309, 2006. doi:10.1021/es061040r.

この実験では,モデルシアノバクテリア (Plectonema boryanum UTEX 485) が塩化金 (Au3+) と相互作用することで金の生体濃縮を起こす機構を明らかにしました.これは,世界中の様々な場所の金の堆積物に関係するよくある地中の環境を模倣しています.この環境では,塩化金 (Au3+) は流体に溶け込んで地中深くから出てきてバクテリアの堆積層に流れてきます.バクテリアが死んでも化学的な反応は残り,流体から金属金を還元します.

我々の実験では,P. boryanum の培養物をサンプリングし,XAS 測定に適したテフロン製の流体用セルに詰めました.塩化金 (Au3+) 溶液を適当量流体セルに滴下し,実験ハッチからできるだけ速く出てきました.一晩中,XAS 測定を連続的に行いました.朝方に試料をとっておき,実験終了時まで 2, 3 時間おきに測定を行いました.最後には1週間前に準備したサンプルについても測定を行いました.このように,塩化金 (Au3+) がある種のコロイド状の金にほぼ完全に還元される様子を時系列で追いました.(金は TEM 測定からコロイド状であることが確認されており,また,XAS 測定からコロイド状の金とバルクの金を区別することはできません.)

すべてのデータを含んだプロジェクトファイルは 私の Github サイト にあります.

12.2.2. データの解析

金の標準物質と金・シアノバクテリアのデータを含む ATHENA プロジェクトファイルを読み込んでください.ここには,0.12 時間後から 1 週間後までの還元過程のひとまとまりのデータが入っています.シアノバクテリアのデータの下にはいくつかの金の標準物質があります.

これらのデータはすでに注意深く,較正,整列,マージされていることに注意してください.それぞれの測定は金箔を 整列の基準 としています.

以下の図には,左にシアノバクテリアについて測定された一連のデータ,右に様々な金の標準物質を示しています.左のプロットはまた初期の物質,つまり塩化金 (Au3+) と最終生成物,つまり金属金についても示しています.データは明らかに時間が経つにつれてこの2つの物質間で変化していることがわかります.特に,11921.5 eV 付近のホワイトライン強度の減少と金属金のスペクトルに特徴的な 11946.7 eV 付近のピークの上昇に注意してください.

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図 12.14 0.12 から 720 時間の時間変化.一番上のスペクトルは初期物質である塩化金(Au3+) の水溶液を示しており,一番下のスペクトルは最終生成物である金属金を示しています.

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図 12.15 プロジェクトファイルに含まれるすべての標準物質

この実験の目的は2つあります.1つめは,還元の反応速度を決定することです.最終的に,得られたデータは塩化金 (Au3+) 水溶液と金属金の線形結合で表せると考え,その相対的な比率を時間の関数として求めました.2つめの目的は,還元反応が中間状態を経るかどうか,また,そうであるのであれば,その化学種の同定を行うことです.この疑問に対する我々の戦略としては,塩化金 (Au3+) と金属金の混合物であると思われる物質に対して,3つめの標準物質を考慮に入れ,2つの標準物質の合計ではなく3つの合計としてよりよく再現されるかどうかを確認しました.

まず初めに,グループリストからある時間のデータを選択します.この節のほとんどの図では,7.03 時間後に測定されたデータを使っています.次に,メインメニューから Linear combination fit を選択してください.メインウィンドウが線形結合フィッティングツールに置き換わり,フィッティング範囲を示す垂直の線と共にデータがプロットされます.初めの2つのドロップダウンメニューから以下のように Au foilAu3 Cl aq を選択してください.

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図 12.16 ATHENA の線形結合フィッティングツールで最初のフィッティングのために2つの標準物質を選んだところ

操作リストの中から Fit this group をクリックしてこれらのデータに対して,まず初めのフィッティングを行ってください.フィッティングが終わると,結果が以下のようにプロットされます. Fit results とラベルされたタブが有効化されます.これをクリックすると,フィッティング結果としてデータの 51±1 ``% `` が金属金であると推定されたことがわかります.フィッティングの精度を見てみると,これらのデータはこの2つの化学種のみの単純な線形結合でモデル化できそうだということがわかります.

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図 12.17 フィッティングの標準物質として初期状態及び最終状態の化学種を使って,7.03 時間後のデータに対するフィッティングした結果

12.2.3. フィッティングの質の向上

この簡単な結果はよい感じですが,完璧ではありません.プロットをよく見てみると,フィッティング範囲全体についてうまくあっていないところがあることがわかります.(Plot difference ボタンをクリックすることでうまくあっていないところが確認でき,操作リストの Plot data + sum をクリックすると,データを再プロットすることができます.)このずれは塩化金 (Au3+) と金属金の他の中間状態が存在するかもしれないという仮説が妥当かもしれないということを示唆しています.

まず,その中間状態が何であるか推定してみると,強いホワイトラインを示すものではないと思われます.ホワイトラインの領域でのフィッティングはとてもうまくいっています.このページの最初の図の右側にある様々な標準物質について見てみると,硫黄が配位している化学種,硫化金,チオ硫酸金,あるいは金チオマレートが候補に挙がりそうです.これらをテストしてみるために, Standards spectra タブの標準物質のリストに加え,もう一度フィッティングを行う必要があります.3列目にはドロップダウンメニューから Au sulfide を選択し,操作リストの Fit this group をクリックしてください.

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図 12.18 7.03 時間後のデータに対して初期状態,最終状態の化学種と硫化金を使ってフィッティングを行った結果

よりうまくあっていることがわかります.フィッティング範囲全体と特に 11946.7 eV 付近のピークのずれの量が小さくなっています.結果タブを見ると,塩化金 (Au3+) の量はほとんど変わらないのに対して,金属金の量がたった 34±2 % になり,硫化物が残りの 18±2 % を占めていることがわかります.

12.2.4. フィッティング結果の解釈

硫化物を含めたフィッティング結果は明らかによく見えますが,正しいでしょうか?結果タブにはフィッティング結果の簡単な統計量についても表示されます.R 因子 – それぞれのデータ点におけるずれの和の平均二乗値 – は2つの標準物質を使った場合には 0.000073 で,3つの標準物質を使った場合の 0.000035 の2倍あります.よって,ずれの程度は3つの標準物質を使った場合の方が小さいことがわかります.

フィッティング結果の reduced χ2 も 0.0000514 から 0.0000250 へとおおよそ半分になっており,フィッティングの質が本質的に向上したことを示しています.しかし,おかしな数字でもあります.科学統計の教科書によると,非線形の最小二乗法(つまり,IFEFFIT や ATHENA によって使われているもの)を使ったよいフィッティングはモデルがうまくデータを説明しているとすれば 1 を与えなければなりません.これは確かに正しい考えですが,測定の不確かさを正しく知ることができるか考えてみてください.私たちは,測定の不確かさを知ることができません.原理的には測定データのマージから得られる標準偏差のスペクトルが測定誤差の近似値として使うことができますが,今回の場合はこれは不可能です. 7.03 時間後のデータは一連の測定における1回の測定です.それぞれの測定は個別の測定であり,マージされるべきものはありません.結果的に,ATHENA は測定誤差の値として 1 を使わなければなりません.これは真の測定誤差より遙かに大きなものであるため,χ2 は非常に小さな値となってしまいます.

よって,ガウス統計について思い浮かべながら,単純にあるフィッティング結果がよい結果であるということはできません.しかし,一連のフィッティング結果について,例えば上で行ったように比較を行うことはできます.reduced χ2 が2倍よくなったことはおそらく有意でしょう.また,これまでの解析を元に中間体が存在することは自信を持って言えると思います.

しかし,その中間体とは何なのでしょうか.まだ,他の可能性について検討していないので,同定に成功したとは言えません.(硫化金がかなり確からしいとはいえ!)この問題を解決するためにアルゴリズム的には異なりますが,概念的には等価な2つの方法があります.1つは主成分分析を行ってからターゲット変換を行い,標準物質の中から3つめの化学種の同定を試みるということです.ここで説明するアプローチは組み合わせの手法を使ってデータに対して標準物質のライブラリを直接テストするというものです.

これらの2つのアプローチは数学的にはかなり異なっています.共に重要な限界を持っているため,中間体の同定に使う際に実質的には等価な方法と言えます.その制限とは両方のアプローチで標準物質のライブラリの中に中間体が存在していなければならないということです.もし、未知の化学種がライブラリに存在しなければ,いずれの手法もその化学種を同定することはできないでしょう.

12.2.5. 組み合わせ分析

それぞれの標準についてテストするのは我慢できないほど退屈な処理に聞こえます – 特に,原理的には,すべての可能性のある 2つ,3つあるいはそれよりたくさんの組み合わせについて検討したいと思っているからです.プロジェクトファイルには9つの標準物質のデータがあります.2つあるいは3つの標準の組み合わせを9つの標準物質から選ぶとすると120の可能性があります.これらの組み合わせを実行して記録するのは恐ろしいことです.幸運にも,ATHENA にはこれを自動的に行う機能があります.

まず,シアノバクテリアに関するデータ以外のすべての標準物質のデータマークをつけてください.次に,Use marked groups ボタンをクリックしてください.すべての標準物質が表に取り込まれます.

デフォルトでは,表は4行しかありません.よって,線形結合フィッティングツールを閉じて,環境設定 を開く必要があります. ♦Linearcombo→maxspectra の項目を少なくとも 9 に設定してください.そして,線形結合フィッティングツールに戻り,9つの標準物質を表に読み込んでください.

Use at most をクリックして,3 にしてください.この時点では,Fit all combinations をクリックして,2つあるいは3つの標準による120の組み合わせのフィッティングを始めることができます.しかし,これは,時間の無駄です.私たちはこのデータが金属金を含んでいることを知っています.表の5列目には,required の省略形として req. とラベルされています.Au foil の行のそのチェックボックスをクリックしてください.このことによって,一連の組み合わせにおいて金属金を含む組み合わせしか考慮しないようになります.これで2つあるいは3つの標準の組み合わせは 36 になります.次に,操作リストの Fit all combinations をクリックしてください.少し時間がかかると思います.コーヒーを取ってくるいいタイミングです.

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図 12.19 一連の組み合わせフィッティング結果は combinatorics タブに表示されま

一連のフィッティングが終わると,ATHENA はすべてのフィッティング結果を R 因子が増えていく順番に並んだ表を表示します.上の表の最初の列はフィッティングに含まれる標準について下の表の番号を使って示しています.他の2つの列はそれぞれのフィッティング結果の R 因子と reduced χ2 です.

上の表のある行をクリックすると,そのフィッティング結果が下の表に表示されると共にプロットされます.一連の組み合わせ分析が終わると,そのうちの最良のものが表示されます.それは,金属金,塩化金 (Au3+),そして硫化金という上で検討したものが,実際のところ,最良であったということがわかります.しかし,これはかろうじて最良の結果というだけです.硫化金の代わりに金チオマレートを使ったとしてもほんの少し悪いだけです.統計的な観点からいうと,2つのフィッティング結果はほとんど等価で,金属や塩化物の量もほぼ同じです.チオ硫酸金や金チオシアニドは少し悪いと言えます.他のいくつかの結果は同じような統計量を示していますが,よく見ると 11946.7 eV 付近のピークはあまり合っているとは言えません.よって,表にある他の結果は質の面から見て除外されます.

この結果から問題なく導ける結論は,中間体はある種の金と硫黄の結合体であるということでしょう.硫化金水溶液の標準は僅差で最良のフィッティング結果を示しましたが,他の3つの金-硫黄結合を持つ化学種についても統計的には同等でした.この系の速度論を考える際には,硫化物を用いますが,必ずしも中間体が水に溶けた硫化金でなければならないということはありません.むしろ,シアノバクテリアの細胞が塩化金 (Au3+) 溶液に触れて溶け出した際に形成した何らかの金-硫黄化合物でしょう.

12.2.6. 一連のデータの解析

この系の速度論解析を行うために,3つの化学種 – 金属,塩化物,そして硫化物 – を含むモデルをそれぞれの時刻に測定されたシアノバクテリアに適用します.上の表の一番上の行をクリックしてください.最良のフィッティング結果がプロットされます.また,3つの標準が Standards spectra タブに表示されます.そのタブをクリックし,グループリストですべてのシアノバクテリアのデータにマークをつけ,標準物質のマークを外してください.操作リストの Fit marked groups をクリックすると,印の付いたデータに対して3つの標準を使ったモデルによるフィッティングが順番に実行されます.ちょっと落ち着いて待っておいてください.

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図 12.20 マークのついたグループに対するフィッティング結果のレポート.このレポートは以下に示すように LibreOffice Calc などの表計算ソフトで読み込めるファイルとして保存することができます.

一連のフィッティングが終わると,それぞれのデータをクリックして各時刻での結果を確認したいかもしれません.操作リストの Marked fits report ボタンが有効化されているのに注意してください.これをクリックすると,出力ファイルの名前を尋ねられます.この出力ファイルは csv ファイルであり,ATHENA の レポートファイルの1つとして,簡単に表計算ソフトに取り込むことができます.この図では,塩化物の量が単調に減少する間,金属の量が単調に増加していることがわかります.硫化物の量は図には示されていませんが,実験の間おおよそ一定でした.

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図 12.21 マークのついたグループに対するフィッティング結果のレポート.このレポートは以下に示すように LibreOffice Calc などの表計算ソフトで読み込めるファイルとして保存することができます.

この例では,この章の始めに示した論文で行われた解析の概要について説明しました.今行ったように,反応速度について解析し,中間体についても大まかに同定しました.ATHENA に組み込まれている自動化を使えば,大量のデータを比較的簡単に扱うことができます.




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